ベイスターズはもう一度、内川聖一に会いにいけるのだろうか問題

 買ってもうた。

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 Numberだとか別冊カドカワベイスターズ特集を組むってスゲエなあと思いますね。今までのことを考えると、ありえないでしょ。いくら開幕戦前に合わせて発売するにしてもですよ。

 そうです。明日は開幕戦なんです。強引な流れですが、明日はシーズン開幕戦なのです。

 昨季の目標はCSでカープさんに勝つことでした。今季の目標はシーズン優勝して、もう一度、内川選手に会いに行くことではないでしょうか。

 昨年の日本シリーズ、2勝3敗で迎えた第6戦。3対2で1点リード1アウトランナーなしで迎えたバッターは内川選手でした。絶大な信頼がおける抑えの切り札・ヤマヤス投手が投げたボールは、伝家の宝刀ツーシーム。内角低めに落ちていくボールを内川選手はアッパースイング気味に捉え、打球はレフトスタンドに吸い込まれていきました。

 ここで抑えられれば、もしかしたら、勢いに乗って日本一になっていたかもしれません。しかし、内川選手が壁になって立ちはだかったのです。

 ベイスターズファンにとって、日本一を前に内川選手が立ちはだかるというのは大きな意味があります。

 内川選手は2000年のドラフトで横浜ベイスターズ入り。2軍では活躍をしていましたが、なかなか1軍定着ができなかった。ケガをしたり、好不調の波が激しかったりして、1軍2軍を行ったり来たりしていました。

 当時は98年組の石井琢朗選手が健在。内川選手はセカンドを守っていたので、私は石井選手の後を継ぐのは内川選手なのかなあと思っていました。

「僕が入団した当時のベイスターズは、まだAクラスは普通という空気でした。周りを見ても戸惑っていたぐらいでしたから。ただあの頃に得たものはすごく大きかったですね。そういった選手が、どのくらい練習しているのか、間近で見せてもらいましたし、どういう気持ちで試合や練習に挑んでるのかということも感じることができましたから」『4522敗の記憶』著・村瀬秀信

 内川選手はその後イップスで送球難になり、一塁手兼外野手に転向。しかしバッティングが開眼し、2008年には首位打者、2009年には日本代表に選出されるほどの選手に成長していきました。テレビで「シーズンではお手柔らかにお願いしますね」と他チームの日本代表選手に自虐的に話していた内川選手が思い出されます。

 当時のベイスターズは3番内川、4番村田、5番吉村。超重量級の打線が完成しつつありました。皆、手塩をかけて育った選手たち。まだまだ弱かったけれど、投手と1,2番打者が揃えば戦えるチームになっていくはずだった。それなのに。

 2010年にFA宣言した内川選手はソフトバンク入り。「僕自身は(横浜を)出ていく喜びを感じられますけど」という内川選手のコメントは悪い意味で語り草となっています。

「あれは『自分で選んだ道を歩いていける』『自分で決めた道で頑張れる』ってことが嬉しいっていう意味だったんです。ベイスターズには悔いを残して出てしまったところもあります。(中略)僕の中では、横浜の先輩方がやってきたことを受け継いでいきたい、見せてもらったものを、今度は僕が後輩たちに見せなきゃいけないっていう思いがずっとありました。(中略)でも、うまく伝えることができなかった」『4522敗の記憶』著・村瀬秀信

 その頃、ベイスターズは3年連続90敗という暗黒真っただ中。チーム売却問題が浮上し、フランチャイズも横浜から別のところに移るかもしれない。それくらいどん底でした。

 ソフトバンクには、内川選手以外にも、寺原投手、吉村選手、工藤監督とベイスターズ暗黒時代で頑張ってくれていた選手がたくさんいます。立ちはだかるソフトバンクを倒してこそ、ベイスターズファンのカタルシスが得られるのです。そして、暗黒時代の”意味”が解体され、”理由”として成立していくのではないかと思うのです。

  意味から理由へ。それは横浜DeNAベイスターズのチームロゴコンセプト、”継承から革新”と同じ意味です。なんのこっちゃよくわからない人はスルーしてもかまいません。ソフトバンクを倒すことに意義がある。倒すことでベイスターズが本当の意味でベイスターズを受け継ぐことができるのではないかと思うのです。だから、シーズン優勝して、正々堂々ともう一度ソフトバンクに会いに行かなくてはならないのです。私たちにはソフトバンク、そして内川選手に会いに行くまっとうな理由がそこにあるのです。

 とにかくですね。今季こそは「優勝するのはベイスターズ…だよー」。